ラザフォード・オールコック

Sir Rutherford Alcock (1809-1897)

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ラザフォード・オールコックは、日本での初代英国総領事であった。彼は東京の西部、現在の港区にある東禅寺に領事館を開設した。1860年彼は日本の役人を説き伏せて、日本国内短期旅行を決行する許可を得た。その旅のほとんどは現在の静岡県内である。旅の間彼は富士山に登頂し、熱海の温泉地を訪れた。実は日本国内を娯楽として旅行した初めての外国人はオールコックだと言われている(P329)。オールコックの記述は、“Narrative of a Journey in the interior of Japan, Ascent of Fuji-yama, and Visit to the Hot Sulphur Baths of Atami, in 1860” と題され ”Journal of the Royal Geographical Society” の31巻に刊行された。全ての引用はこの巻から引かれている。

The title page of the journal in which Alcock’s article was featured

オールコックは東海道で箱根を越えて、現在の静岡県にやって来た。静岡県の印象は『絵のように非常に美しい』(P339)という。三島は彼が通り過ぎた初めての町らしい町であり、オールコックによると『広く、人の多い町』(P339)であった。三島で一泊した後、彼は沼津と原を抜けて吉原に向かった。現在の沼津市に位置する千本浜公園を通り抜けたようだ。『つんざくような低くうなる波音は、狭く連なる松林を過ぎることで和らげられて、耳に届いた』(P340)。吉原でオールコックは、台風に遭っている。しかしながら彼は、その大雨が台風だとは認識せず、記録に残していない。『ほぼ一日中大雨が降り続いた』(P340)とのみ語っている。吉原で街道を外れ、オオミオ(富士宮市大宮町)と村山に向かって進み、富士山を目指した。

富士登山は非常に困難であったとオールコックは強調している。頂上を間際にして、こう記している。『1時間以上の厳しい道のり。息をつくための頻繁な中断。そして足や背骨の痛みを和らげるための休息。これらが、必須条件であった』(P344)。富士登山をした他の外国人は、頂上からの眺めを絶賛しているのにもかかわらず、オールコックの記述は、全く異なったものであった。景色の代わりに科学面と地形面でのデータに焦点を当てている。例えば、彼は山のおおよその高さやクレーターの中心直径を記録している。日本国内を旅行する許可を得るのが、更に難しくなったために、オールコックの富士山頂に関しての彼の評価は、大きな期待の後の失望のようなものとして、読めるのかもしれない。

Alcock’s monument in Atami City

富士山を下山した後、オールコックは伊豆半島北西に位置する熱海に向かった。熱海は総じて『静かで美しく、休息や娯楽を楽しむために選ばれた孤立した隠れ家』(P347-8)のような場所に彼には写った。オールコックは、細い小川や村に湧き出る温泉にとても喜んだ。しかし熱海の人々はそれを有効活用していないと感じ、彼は現地で実際に、蒸気風呂について紹介している。

Poor Toby – the monument to Alcock’s dog, Toby, who died in Atami

オールコックにとって一番印象深く残っていることは、静岡県の景色であった。特に熱海と三島を結ぶ街道からの眺めは、彼を感嘆させた。彼は通り抜けた街道について述べている。たくさんの『素晴らしい絵のような光景である。緑色のお椀形の丘。険しい峡谷からせり出した玄武岩。段々畑の丘と海まで傾斜が下る美しい谷。不断のうっそうと茂った群葉。これらが街道と共に継続している』(P348)。オールコックは更に続ける。『こんなに多くの豊かさと素晴らしい美しさを合わせ持った国は、この国とヨーロッパかアジアのほんのわずかな国でしか見たことがない』(P348)

Mount Fuji as viewed between Mishima and Atami

結論としてオールコックは、日本国内旅行に魅せられたと言ってよいだろう。静岡県の景色と自然が最も忘れがたいものとして、脳裏に刻まれた。特にオールコックは、三島と熱海の間の地域に惜しみない賞賛の声を上げている。その地域は、オールコックの時代と変わらず、現在もその美しさを留めている。

引用

Alcock, Rutherford, 1861. Narrative of a Journey in the interior of Japan, Ascent of Fuji-yama, and Visit to the Hot Sulphur Baths of Atami, in 1860. Journal of the Royal Geographical Society, 31. pp.321-56

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