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ラザフォード・オールコックは、日本での初代英国総領事であった。彼は東京の西部、現在の港区にある東禅寺に領事館を開設した。1860年彼は日本の役人を説き伏せて、日本国内短期旅行を決行する許可を得た。その旅のほとんどは現在の静岡県内である。旅の間彼は富士山に登頂し、熱海の温泉地を訪れた。実は日本国内を娯楽として旅行した初めての外国人はオールコックだと言われている(P329)。オールコックの記述は、“Narrative of a Journey in the interior of Japan, Ascent of Fuji-yama, and Visit to the Hot Sulphur Baths of Atami, in 1860” と題され ”Journal of the Royal Geographical Society” の31巻に刊行された。全ての引用はこの巻から引かれている。
オールコックは東海道で箱根を越えて、現在の静岡県にやって来た。静岡県の印象は『絵のように非常に美しい』(P339)という。三島は彼が通り過ぎた初めての町らしい町であり、オールコックによると『広く、人の多い町』(P339)であった。三島で一泊した後、彼は沼津と原を抜けて吉原に向かった。現在の沼津市に位置する千本浜公園を通り抜けたようだ。『つんざくような低くうなる波音は、狭く連なる松林を過ぎることで和らげられて、耳に届いた』(P340)。吉原でオールコックは、台風に遭っている。しかしながら彼は、その大雨が台風だとは認識せず、記録に残していない。『ほぼ一日中大雨が降り続いた』(P340)とのみ語っている。吉原で街道を外れ、オオミオ(富士宮市大宮町)と村山に向かって進み、富士山を目指した。
富士登山は非常に困難であったとオールコックは強調している。頂上を間際にして、こう記している。『1時間以上の厳しい道のり。息をつくための頻繁な中断。そして足や背骨の痛みを和らげるための休息。これらが、必須条件であった』(P344)。富士登山をした他の外国人は、頂上からの眺めを絶賛しているのにもかかわらず、オールコックの記述は、全く異なったものであった。景色の代わりに科学面と地形面でのデータに焦点を当てている。例えば、彼は山のおおよその高さやクレーターの中心直径を記録している。日本国内を旅行する許可を得るのが、更に難しくなったために、オールコックの富士山頂に関しての彼の評価は、大きな期待の後の失望のようなものとして、読めるのかもしれない。
富士山を下山した後、オールコックは伊豆半島北西に位置する熱海に向かった。熱海は総じて『静かで美しく、休息や娯楽を楽しむために選ばれた孤立した隠れ家』(P347-8)のような場所に彼には写った。オールコックは、細い小川や村に湧き出る温泉にとても喜んだ。しかし熱海の人々はそれを有効活用していないと感じ、彼は現地で実際に、蒸気風呂について紹介している。
オールコックにとって一番印象深く残っていることは、静岡県の景色であった。特に熱海と三島を結ぶ街道からの眺めは、彼を感嘆させた。彼は通り抜けた街道について述べている。たくさんの『素晴らしい絵のような光景である。緑色のお椀形の丘。険しい峡谷からせり出した玄武岩。段々畑の丘と海まで傾斜が下る美しい谷。不断のうっそうと茂った群葉。これらが街道と共に継続している』(P348)。オールコックは更に続ける。『こんなに多くの豊かさと素晴らしい美しさを合わせ持った国は、この国とヨーロッパかアジアのほんのわずかな国でしか見たことがない』(P348)
結論としてオールコックは、日本国内旅行に魅せられたと言ってよいだろう。静岡県の景色と自然が最も忘れがたいものとして、脳裏に刻まれた。特にオールコックは、三島と熱海の間の地域に惜しみない賞賛の声を上げている。その地域は、オールコックの時代と変わらず、現在もその美しさを留めている。
引用
Alcock, Rutherford, 1861. Narrative of a Journey in the interior of Japan, Ascent of Fuji-yama, and Visit to the Hot Sulphur Baths of Atami, in 1860. Journal of the Royal Geographical Society, 31. pp.321-56